ある回想:死んでてもおかしくなかったんだよ⑵!

gast黒△病院で救急車を待っている間に意識を失ってしまっていた。

意識が戻った時、手術台の上にすっぽんぽんで横たわっていた。横を向くと、白衣を着た5~6人が円陣を組むようにしゃがみこんで何やら話をしていた。

何してんだよ!苦しいよ!早く切ってくれ!

私の、黒△医院での怒りは、みさかいなく続いていた。
どこにいるのかも、どうなっているのかの状況の判断もつかないまま、ただ痛いのと苦しいのが辛くて、早くメス入れてよ!なんで待たすんだよ!と騒いでいるのである。

後でわかった事なんだが、そこは北里大学病院で、その時いたのは学生さん、教授が来ないと執刀できなかったらしく、学生の中の気の短い奴が来て、うるさい、静かにしなさい! とさすがに切れていた。その内にその声も聞こえなくなって、
花畑と三途の川をうろうろ・・・・・・・・

実は、この一部始終を女房は聞いていたのである。病院から保険証の番号などの確認も含めて連絡があったので、タクシーで北里大学病院に駆けつけて、手術室前のソファーに座っていたらしい。勿論、ここに書いた文章は後日談で女房に聞いた話の中の汚い表現を外した言葉をまとめたものである。

手術の前に先生から、もしかしたら手術を持たないかもしれませんから、一応覚悟しておいてくださいと言われ横たわって意識のない私をのぞき込んだという。

  こうして、手術が始まったのである。
三途の川は3つの瀬があって、この世の行いによって3つの瀬から一つ決定されるという。一番きついのが地獄瀬らしい、どうも私には、同じ瀬でも、この世の「年の瀬」を越すようにとの判定が与えられたようだ。ゆっくりと目が開く。

 

カーテンで仕切られた病室のベッドの上だった、開口一番が

ああっ、生きてら~ 

だったと、後に隣の患者さんが教えてくれた。「生きてら~」と言った後、また寝込んで、それから3日間寝たきりだったんだよって。

先生いわく、いつ死んでてもおかしくない状態だった、あと30分遅れていたら、手の施しようもなかったね、とのことである。

十二指腸潰瘍に腹膜炎で十二指腸もボロボロでつなぐことができないので切除して縫い合わせ、別の場所にバイパスでつないで、胃もほとんど取ったそうな。

友人に3回腹を切ったら死ぬよ! と根拠のない脅しを受けていたが、この手術が私の2回目の開腹手術である。さすが、2回開けると、この言葉も現実味を帯びてくる

そうそう、なんで警察を呼んで!と言ったのかは、いまでも不明。
友人も、言われた通りに本当に警察に行ったんだよね。警官が見に来て、こりゃぁ救急車だよ!っと救急車を呼んでくれたらしい。昭和50年代は16号線は電話ボックスがあっちこっちにあったんだから、119番すればよかったんですよね。

無意識に警察は助けてくれる、「困ったときの110番」とでも思っていたのかなぁ?

生き延びた事には間違いない。私の運命論からすれば、まだ必要だから生かされたんだ。ってことになるので、よく考えて行動しなければ、もう必要ないって判断されかねない。この世に、しなければならない事があるってことでもあるんだろう。

   今年も「年の瀬」を無事迎えられる事に感謝感謝!

 

今日の元気の灯