お茶壺道中!のお茶のルーツを考える?

コーヒーを飲みながらお茶を語る

前の、ずいずいずっころばしは、お茶壺道中のパロディーで、お茶壺に対する将軍の偏愛から来ており、庶民の「茶壺に追われてトッピンシャン」という気持ちがわかろうというもの。
 

 
今回は、この将軍家が喫飲するお茶のルーツをさらってみたい。
 
お茶と言えば、茶道などの日本的文化もあって、日本古来のもののように思いますが、日本にお茶が輸入されたのは奈良時代のことでした。
 
しかし、お茶が日本にはいってきた当初は、薬としての価値の方が重く見られていて、京都に平安朝を開いた桓武天皇は「茶園」を典薬寮(現在の厚生労働省)に管理させています。
 
 



 
 
現在と同じ抹茶(まっちゃ)が入ってきたのは鎌倉時代の初め、
 
中国に禅の研究でいっていた栄西上人と言う人が持ち込んだのです。
これによって、日本の飲茶(やむちゃ)や茶道が発展することになるのでしょう。
 
お茶のもとは、栄西上人が持ち帰った江南種の茶の実で、方々に植えられたそうです。これが全国に広がって、江戸時代のお茶壺道中につながっていくわけです
 
 

 
 
栄西上人は、茶について「喫茶養生記」なる書物を出しました。
その中には、脚気、食欲不振、腎臓病、中風、便秘、眠気、渇きなどの諸病に効き目があるということが書かれているという。
 
いかがでしたか?毎日何気なく飲んでいるお茶の話しでした。
 
 



 

喫茶養生記(きっさようじょうき)
 
喫茶の効能や製法を述べた漢文体の書。上下2巻。禅僧栄西が承元5 (1211) 年著述。栄西が鎌倉下向の際,将軍源実朝に献上したもの。茶は仏教とともに中国から伝来したが,平安時代には上流貴族や僧侶の間で薬の一種と考えられ,長寿の妙薬とされていた。栄西も本書で茶の製法や効能を説き,喫茶による諸病の治療法を述べ,健康管理の必要を主張している。『群書類従』『大日本仏教全書』に収められている。

 
 



 

 
 

読者のコメント