ちょっと寄り道:ダメ先生は昔からいた!

最近目立つ、学校のダメ先生!に目を向けてみた

ここに載せたのは、いずれも、新聞に掲載された過去記事であって、私がどうこうしたものではありません。

 
==体罰について 東京市学務課長の談話==
 
「わが国小学校令によると、懲罰は明らかに許しているけれど、体罰は決して許しておらぬ。 
 
しかし、実際教務にあたっている者の話しによると、
 
不良学童などは、口で言ったくらいでは、なかなか聞かぬから、時々は懲罰の域を超えて佇立ぐらいの体罰を加えなければ、教訓の主旨が達しかねるという事である。

 
由来、懲罰と体罰の境は、きわめて不明瞭なために、教師の実意から出た教訓も、時折、体罰と間違えられているような次第で、これは明らかに日本の小学校令の不備によることと考える。
 
英国でも独逸でも体罰を許し、わけても独逸などでは、生徒が学校を休まぬ程度において、大いに体罰を加えてよい事を明らかに許している。
 
日本でも、小学校令の定められた頃ならば、世の中もノンキで、したがって学童も万事温和だったろうけど、今日(大正5年)のように、世の中が繁雑になり、学童も著しく早熟し神経過敏となり、どうかすると教師を馬鹿にするような現状では、教訓をほどこすにも、なかなかに骨が折れる」
 
<大正5年(1916)5月25日 報知新聞>
 
 
注目すべきは、大正初年にして、すでにどうかすると教師を馬鹿にするような現状、教訓を施すにも骨が折れてきた点。
 
もう一つは
 
学業を断念するほどの体罰事件の談話として、佇立ぐらいの体罰は加えなければ・・・・・とか、英国や特に独逸では・・・・・・などと問題をすりかえる役人答弁がまかり通っていた点

 
 
ダメ先生に苦悩した文部省
 
<大正14年の読売新聞の記事>
来年度から教科書が大改正され、新しい部分がふんだんに取り入れられる事になっているが、もっとも注目されているのは、教科書の内容がぐ~とやさしいものに改正されることである。これは、今日の教員の学力が、児童を教えるにしてはあまりに低く、現在の教科書では難しすぎ、時々ボロを出すため、その弊害を防ぐためだという。
 
東京市内の教員が、”真中” を、「しんちゅう」 と、また、”固より” を、「かたより」と平気で教えているのを見たという。しかも、それが、教授研究会でのことに至っては、学力の低下と言うよりも、むしる非常識にあきれざるを得ない」
時の文部省・図書監修官の談話である。さしずめ、ちがうだろ~、誰のための改正なんだよ~との叫び声が聞こえそう
 
 
 
文部省の体質をもう一つ
 
これも有名な話なんですが、昭和8年(1896)の新学期から小学校の教科書が変わった。1年生の読本も、ハト、マメ、マスなどの単語から
サイタ、サイタ、サクラガサイタとすぐ文章から始めるように改めたのである。

 
ここで注目すべき点は、同じ小学読本の「モモタロウノハナシ」の中で、オニセイバツをオニタイジに変えたことである。
 
いきさつは別の機会に譲るとして、セイバツとタイジは似たような表現だが意味が違う。
 
セイバツ(征伐)とは、服従しない者を攻めうつこと。
タイジ(退治)とは、害をなするものを打ち平らげる。
 
ということになる。
 
文部省はのちに、侵略進出と直して物議をかもした。
どだい、そういう体質をもっていたことが、偶然にも、ここに現れている。
 
 
さて、ここんところの教師の不祥事に対する、教育委員会や学校の対応、と、これらの記事、あなたはどうとらえますか?
 
今回の暴言は、教職と言うよりも、人間として・・問われていますからね。
子供は、ショックだったでしょうね~  一生残りそうですね

今日の元気の灯