今年もよろしくお願いします?

松の内も終わり(関東1月7日、関西1月15日)我が家の年神様も、静かにゆっくり過ごされた事でしょう。
年神様は門松を目印に各家庭に入り、鏡餅に宿って松の内を過ごすといわれています。我が家では、長期留守のため、今年は門松を設置しませんでした。

そして、新春と言えば、やっぱり伝統芸能の能楽や歌舞伎ですね。年明け2日からは、壽初春大歌舞伎がおこなわれ、2月には、猿若祭二月大歌舞伎が行われます。

そして、歌舞伎の見どころは歌舞伎役者が舞台で見えを切るところでしょう、すかさず客席から「ナリタヤ~ッ」とか「オトワヤ~ッ」と掛け声がかかります。

あれっ!そういえば、この役者の屋号はどこから来ているんでしょうか?

芸名だけならば、噺家や常磐津にもあったそうですが屋号はありません。

調べてみると、どうも江戸時代の身分制度までさかのぼるようです。

江戸時代の身分制度といえば、士農工商ですが、その下にも階層があって、士農工商の「良民」と区別されて賤民とよばれていたそうです。

役者は、もともとは川原乞食(かわらこじき)と言われる身分で、ある時、役者は良民か賤民かと言うことが問題になったそうです。

このころの人気役者は小大名顔負けの経済力を持っていたそうですが、良民と賤民とでは身分に大きな開きがあります。

幕府はいろいろと協議した結果、役者は良民であると判断をしたそうです。

さあ、これに喜んだのは川原乞食の役者連中です。それまでは、良民だか賤民だかはっきりしないまま、劇場付近に固まって住んでいたの

を、幕府から、天下御免の良民とお墨付きをもらったわけだから、競い合って表通りに住み始めました。

ここからが本題なんだが、江戸時代の法律では、表通りは商家でなくてはならなかったので、団十郎、幸四郎、菊五郎などといった連中は、

お手のものの化粧品屋を開いたわけです

化粧品の他、小間物屋、薬屋を開いた役者もいたということですが、歌舞伎役者の間で、この商いの「屋号」で呼ぶようになったということらしいです。

すなわち、屋号は役者の「良民」であることのデモンストレーションでありステイタス・シンボルでもあったと結んでいた。

今日の元気の灯