今日から戦後!戦後はいつも戦後なの??

京都の「五山の送り火」も無事終了しました。送り火は、お盆で帰ってきていた先祖の霊を天国に送るための行事です。
 
 
同時に、有縁無縁の英霊を慰め、今ある戦後の平和に感謝した英霊の送り火でもあります。
 
 

画像:にじめんより
画像:先祖の迎え火

平和を見届けた英霊を送り火で送って戦後がやってくるのであろう。
 
そう言えば、安易に戦後という表現を使っているが、私たちが戦後と言うと、第二次世界大戦もしくは太平洋戦争の戦後だが、それでは、今までの戦争でも、その後の時期を戦後と呼んでいたのだろうか?
 

 
調べてみました。
 
明治40年(1907)2月21日の東京朝日新聞にこんな記事がある。
 
「なにごとにも戦後戦後と言う戦後の実業は、会社を建てることと早合点した連中。
 
 
甲の会社、乙の会社と新しき会社名を設けて、発起人の名をかつぎまわること、さながらミコシにことならず。
 
 
戦後の紳士これまたワイワイのワイとさの、一獲千金の株に手を出し、血眼になってかけまわれば、
 
戦後の婦人また手をむなしく引っ込んでばかりいることはかなわず、何でも戦後は活発にはねまわるにしくことなし、だれ発起ともなく集まる貴婦人数名、いよいよ一大舞踏会を組織し、麹町区五番町英国大使館裏のガデイナー氏ホテルにおいて発会式を開き、敷島の大和の花の艶なる姿、霞の袖の妙なる舞踏振りを内外人に見せ、もってその眼をおどろかさんものと、内々準備しつつありとなり」
 
 
勿論この戦後は日露における戦後である。

 
そうこういってるうちに、第一次世界大戦が始まり、大正7年(1918)にこれが終わると、途端に
「戦後の婦人問題」「戦後の労働界」「戦後の社会運動と言った具合に、またまたやたらと、「戦後」がでてきた。
 

勿論これは第一次世界大戦の戦後で、やがて大正12年9月1日に関東大震災が起こると、ようやく”戦後”が引っ込んで、今度は”震災後”の世の中になった。

当たり前と言えば当たり前なんだが、新聞記事になってるってことは、やはり浮かれていたんでしょうね
 
 

今日の元気の灯