大相撲の最高位、横綱推挙を辞退した力士!?

大相撲の3月場所は、稀勢の里の頑張りが目に付くというか、2横綱がこぞって星を落

としている。前年の秋場所にも似たような感覚を持ったもんである。今回は稀勢の里

危ない相撲ながら、なんとか白星を続けている姿に初代貴乃花を見ていた時の気持ちと

オーバーラップしてくる。

一方で琴奨菊の本割は怖くてみられない、何か別の事を始めながら、耳だけは聞き入って

いる。これも、どこか遠いいところで味わった感覚だった。

そうだ、横綱朝潮である。胸毛の生えた大きな体だが、負けるときには気前よく負ける

ので応援している方は気が気ではない、強いのか弱いのか・・・・・・!

成績が良い大関のインタビューで、「いよいよ横綱ですね」と尋ねると、

とんでもないっスよ」と謙遜するのが常である。

しかし、協会から横綱推挙の使者が来ると謹んでお受けします」となる。

ここで「とんでもないっスよ」と言う力士は聞いたことがない

そこで、横綱を手繰ってみた、ら、ありました、ありました。

「謹んでご辞退いたします」断った力士がいたんです。


調整調整調整写真:大関梅ヶ谷の横綱をつけての土俵入り、露払い:剣山谷右衛門、太刀持ち:大鳴門灘右衛門

初代剣山谷右衛門と言う関取らしい、剣山は天保13年(1842年)に大関となり、相撲の名人と称され、不知火諾右衛門、秀ノ山雷五郎と並び、天保の三傑とまで謳われた関取である。

弘化2年(1845年)42歳の時横綱の推挙を受けた際、「謹んでご辞退いたします」と断って、代わりに後輩の秀ノ山を推薦した。(写真:秀の山関の土俵入り)

そうそう、当時の相撲番付は最高位が大関であり、横綱は相撲の地位ではなく、卓越した大関に与えられる称号でもなく、単に横綱をしめて土俵入りできる資格に過ぎませんでした。

勿論、ツナをつけての土俵入りは名誉なことで、「私は体も小さく、土俵姿も映えないのでお断りします」と名誉を汚すと思ってのことだったらしい。

ちなみに、剣山は167cm、115kgだった。

7代目横綱が188cm、143kg
8代目横綱が176cm、135kg

だから、比べると確かに見劣りはするだろう。しかし、しかしである、自分の代わりに推薦した秀ノ山は、身長164cm、150kgで身長はむしろ低かったのだから、剣山とすれば、土俵上の姿によほど自信がなかったのだろうか?

剣山は幕内在位十九場所で143勝31敗2分6預り、優勝6回という成績は堂々たるものである。

この、ふとした遠慮のため、のちに、力士の最高位となった横綱一覧にその名をとどめずに終わったという

あの人に会いたい千代の富士

剣山の推挙辞退に対して、持っている横綱の地位を返上したいと申し出たのが、41代横綱千代の山雅信である

彼は、昭和26年(1951年)横綱となったが、脊髄を痛め昭和28年の1月場所を4勝4敗8休の不成績で終えたことに自信を失い、横綱の面目を汚すからと横綱の返上を申し出た。

剣山時代の横綱なら、土俵入りの免許を返すだけのことだから別に差支えもなかったろうが、すでに、横綱が地位

化していて、しかも、陥落がないだけに、返上は即引退となる

結局、この申し入れは受け入れられず、千代の山はその後治療して再起、全勝1回を含み3回の優勝をとげたという。

 

 

今日の元気の灯