屋根より高い鯉のぼり~♪  

八十八夜も終わり、春霜ともおわかれで、いよいよ夏に突入する大型連休スタート?
我が家は外壁塗装のため白いネットで囲われた状態での連休スタートです。

連休と言ったって混雑は避けたいので自宅界隈と言うことになる。はっきり言えば孫のお守りが相場
今回は我が家の塗装と言うことで、孫も連休初日の朝からアイパッドにタブレットであそぶ

―はっちゃん!もう、戦隊の玩具はいらないよね?
――なつかしいね、でも、もういらないよ
―そうだよね~
――おとうさん、箱に入れて売っちゃって
売るったって、段ボウルに詰め込んで1000円くらいかな?買い手が居ればの話しだけど
――いいよいくらでも、ただででも持って行ってもらいたいくらいだよ

孫も言葉を覚えてから成長?が早くなったようだ。
この世に生を受けて4年だが「なつかしい」って言葉を聞くとは・・

連休の5月3日は憲法記念日、5月4日はみどりの日、5月5日はこどもの日です。
連休はさておき「こどもの日」の祝日は、昔からあった端午の節句に、戦後の1948年に国民の祝日「こどもの日」と法令で制定したものです。

 

「端午(たんご)の節句」とは、中国から伝わった五節句

・人日(じんじつ、正月7日)
・上巳(じょうし、3月3日)
・端午(たんご、5月5日)
・七夕(しちせき、7月7日)
・重陽(ちょうよう、9月9日)

の祝いの一つなんです。
もともとは、旧暦の最初の午(うま)の日、つまり、端午の日を祝ったものだったのですが、

端午の意味[編集]Wikipediaより

「旧暦では午の月は5月にあたり(十二支を参照のこと)、この午の月の最初の午の日を節句として祝っていたものが、のちに5が重なるこの月の5日が端午の節句の日になったという。「端」は物のはし、つまり「始り」という意味で、元々「端午」は月の始めのの日のことだった。後に、「午」は「五」に通じることから毎月5日となり、その中でも数字が重なる5月5日を「端午の節句」と呼ぶようになったともいう。同じように、奇数の月番号と日番号が重なる3月3日7月7日9月9日も節句になっている(節句の項目を参照のこと」

 

いつのころか5月5日を祝うようになりました。

3月3日の上巳は「雛(ひな)の節句とも言われているように、女子の節句です。それに対して、5月5日の「端午の節句」は男子を祝うものとされています。

ところで、子供の日と言えば、五月晴れの大空に鯉(こい)のぼりがゆうゆうと泳ぐ姿を想像しますが、今では住宅街では見ることができません。
昔は長男が生まれると、鯉のぼりを立てたそうです。

記憶に残っているのは、竹林から竹を切ってきて、しっかりした板木を2本埋め込んだ間に竹をはさみ、鯉のぼりをあげたことです
竹は5m~6m位だったと思います。ロープを張ったり、結構大変だったような気がします。

 

画像:藤田人形より

これは、昔、楚(そ)の国(昔の中国)の人望のあった屈原という人が、
ざん言―――ざん言=[名](スル)事実を曲げたり、ありもしない事柄を作り上げたりして、その人のことを目上の人に悪く言うこと。「―されて不遇の身となる―――にあって、べきらの淵に身を投げて死んでしまいました。楚の人たちは、屈原を哀れに思い、神の鯉を作って祀った事に由来しています。

我が国では、室町時代に長い布を半月形にたわめいた竹に張って、これを、戦いの時ののぼりのようにした吹き流しを、武士の家だけが立てていました。

徳川時代に入ると、武士だけでなく町家でも、この吹き流しにならって、紙で作った鯉を竿頭上げるようになり、これを「五月鯉」と呼ぶようになりました。
「鯉の滝のぼり」と言う故事でも知られるように、鯉は威勢のいい縁起物として男子の立身出世を願ってたてられたものです。

ちまきに、・・・間違えました、・・・ちなみに、五月五日は、「ちまき」や「柏餅」を食べる習わしがありますが、これも屈原の故事によるものです。

画像:JA京都より

それは、屈原のお姉さんが、弟の死を弔うために、五月五日になると餅をつくって、身を投げたべきらの淵に投げ入れたことに始まったと言われています

また、他にも邪気を払うために菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)を軒先に刺したり、菖蒲湯に入ったりします。

これは、「男子たるもの武を尚(たっと)ぶべし」と言ったことから「尚武」と「菖蒲」をかけたものと言われています。

そのため、端午の節句を「菖蒲の節句」ともいいます。
時々見る「アヤメの節句」は菖蒲とアヤメが似ていることから来た間違いだと思います。

我が家の進行状況は、プライマーと下地の悪い所を部分下塗りをしたところです。

今日の元気の灯