年の瀬、討ち入り、忠臣蔵だ!

「仮名手本忠臣蔵」と言えば、赤穂浪士の吉良邸討ち入りという歴史上の事実をモデルにしている当たり狂言である事はご存知のとおりです。
数々のエピソードを重ねながら討ち入りに至るまでのドラマは、今日まで、日本人の心を揺さぶり続けてきました。
今年は、赤穂義士の討ち入りから314年になります。

では、「仮名手本」の意味とは?

「仮名手本忠臣蔵」は、赤穂事件が起きてから46年後に人形浄瑠璃として初演されましたが、あまりの人気ぶりに、翌年には歌舞伎になり、江戸三座で共演されたそうです。

現実の事件をモデルにしていながら、さまざまに脚色が加えられていますが、その最大のものは、時代設定でしょう。
元禄時代に起こったこの事件を、忠臣蔵では、室町時代に移しています。
これは、幕府への政策批判と受け取られることに対するカモフラージュで、配役の名前も、大石内蔵助が大星由良助になるといった配慮もなされています。

さて、「仮名手本」の意味ですが、この「仮名手本」とは、「いろはにほへと」のことで、実は、この「いろは」に隠し文字がある、と言うのがこの狂言の趣向になっているのです。

隠し文字とは、いろはを七文字に区切るとわかります。

いろはにほへ

ちりぬるをわ

よたれそつね

らむうゐのお

やまけふこえ

あさきゆめみ

ゑひもせ

解りましたね。後ろの文字をひろってみると、「と、か、な、く、て、し、す」

つまり、「咎(とが)無くて死す赤穂浪士の切腹は、無実の罪である。という主張がここに隠されているという訳です。

これは、幕府批判ですので、「仮名手本」とだけの題をつけて、しらばっくれていたという訳です。

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「忠臣蔵」を調べてみた

江戸時代中期の元禄14年3月14日(1701年4月21日)、江戸城殿中松之大廊下で赤穂藩藩主・浅野長矩(内匠頭)が高家肝煎・吉良義央(上野介)に刃傷に及んだことに端を発する。

この一件で加害者とされた浅野は即日切腹となり、被害者とされた吉良はお咎めなしとなった。

その結果を不服とする赤穂藩国家老・大石良雄(内蔵助)をはじめとする赤穂浪士(赤穂藩の旧藩士)47名、いわゆる「赤穂四十七士」(あこうしじゅうしちし)は、紆余曲折のすえ元禄15年12月14日(1703年1月30日)未明に本所・吉良邸への討ち入りに及び、見事その首級をあげる。

そしてその後の浪士たちの切腹までの一連の事件を総称して、今日の史家は「赤穂事件」と呼んでいる。
引用:wikipedia
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