我が家の化粧⇒完了 &母の日

我が家の塗り替え12日に無事完了しました。

雨の心配もいただきましたが、お陰様で運よく半日のロスで済みました。
 
終わった途端雨が続いています。
 
月曜日(5月15日)には足場を解体して元の生活リズムに戻る予定です。
 
 
さて、今日(5月14日)は母の日です
 
 

日本では、1913年に青山学院で、母の日礼拝が行われた。
アンナ・ジャービスから青山学院にメッセージが届き、当時青山学院にいた女性宣教師たちの熱心な働きかけで、日本で「母の日」が定着していくきっかけとなったとされる。
実際に定着していくのは戦後の事で、1949年(昭和24年)ごろからアメリカに倣って5月の第2日曜日に行われるようになった


 
 
では、アメリカではどうだったのでしょう?
 
アメリカでは南北戦争終結直後の1870年、女性参政権運動家ジュリア・ウォード・ハウが、夫や子どもを戦場に送るのを今後絶対に拒否しようと立ち上がり「母の日宣言」(Mother’s Day Proclamation)を発した。
 
 
ハウの「母の日」は、南北戦争中にウェストバージニア州で、「母の仕事の日」(Mother’s Work Days)と称して、敵味方問わず負傷兵の衛生状態を改善するために地域の女性を結束させたアン・ジャービス(Ann Jarvis)の活動にヒントを得たものだが、結局普及することはなかった。
 
 
1907年5月12日、アンナ(Anna Jarvis)は、亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもち、白いカーネーションを贈った。これが日本やアメリカでの母の日の起源とされる。
 
 
アンナの母への想いに感動した人々は、母をおぼえる日の大切さを認識し、1908年5月10日に同教会に470人の生徒と母親達が集まり最初の「母の日」を祝った。
 
アンナは参加者全員に、母親が好きであった白いカーネーションを手渡した。このことから、白いカーネーションが母の日のシンボルとなった。
 
アンナ・ジャービスは友人たちに「母の日」を作って国中で祝うことを提案。
 
1914年に「母の日」はアメリカの記念日になり、5月の第2日曜日と定められた。
 
==母の日 wikipediaより==
 
 
皆さんは母の日何をプレゼントしますか?
 

 
そして、プレゼントを受け取る年代の我々は、果たして良き父母だったのだろうか?
 
 
ここに、明治10年(1877)の東京日日新聞(現:毎日新聞)に次のような記事がある。
 
「外人の漆器を呼びてジャパニングといえるは古来、
日本の漆細工が精巧なるより出でし名なるが、これ
をわきまえぬものの多きはいかなることぞ
 
物変わり、星移りて封建の制度やみ、郡県の政治
起こりしのちは、
 
三百の諸候も旧様を改めて、
金蒔絵の煙草盆も神代杉となり、
高唐草の角火鉢も桐の糸柾と変わりて、
 
すべて古風の塗物は地を掃ってすたれる上に、この
ごろよりは粗悪品の世に行われしかば、漆細工の品
位を落とし外国の評判を損じたること大かたならざ
るなり」
 
 
漆芸の人間国宝で文化勲章受賞者でもある松田権六
が「若い人たちはチャイナが陶芸の国を意味するこ
とは知っていても、ジャパンが漆芸の国を意味する
ことを知らない」と
 
 
1965年著書『うるしの話』で毎日出版文化賞受賞
したときに話題になったのを受けての検索である
 
 
古代の住居趾に書かれた象形文字を解読したら、
近ごろの若いものはだらしがない
と書かれていたという笑い話があるが、
 
 
帰らぬ昔への同じことを繰り返す”繰り言”はいつの時代も同じようだと言う。
 
私たちも、昔は・・・・だった、今の若いもんは・・・・、昔だったら・・・等と無意識に使っていなかっただろうか?
 
そんな反省を母の日を機会にやってみてはどうだろう。

今日の元気の灯