明治の三面記事―9芸妓と娼妓


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(20)明治の芸者による名誉棄損の訴えとは    明治7年
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明治時代の芸者と言えば、今のタレントと似たようなところがあった。
 
勿論一流の芸者は特定のお座敷にしか出ないので、有名タレントが劇場で一般大衆に接する現在とはいささか事情が違ったが、それでも一般に名が売れていて、その行動がいちいち新聞ネタになるあたりは似たようなもの、
 
jca_record_573_0写真などによる美人投票などでも対象はほとんどが芸者で、映画スターや歌手などのいなかった当時としては、マスコミもゴシップ相手にもっぱら芸者たちを選んだ。
 
そういう中で、オーバーな表現や根も葉もないうわさをまき散らかされ、それに公然と抗議するといった攻防も、現在のそれとなんら変わりはない。
 
いつの時代もマスコミは・・・・・・。


 
明治7年(1874年)9月23日の郵便報知新聞には、マスコミに名誉を傷つけられたとして、東京柳橋の一流芸者二人による、次のような抗議の弁が載っている。
 
「この節、雑誌とやら申す新聞紙に、私どもふたりと新橋の桃太郎、横浜の虎吉をオーライ芸者の隊長とおほめ言葉を受け、誠に有り難く存じますゆえ、なおついでにたやすくオーライになるかならぬか、お客様がた、たくさんご出御おためしくださるようご披露お願い申します。 
 
 さるお客様にお聞き申して、ご近所のことゆえ御社へお願い申します。
 
 どうぞ新聞にお書きいただき、お隣にお届け下されたく候。
 
                    柳橋、 みね・福松 」

 
という内容である。
オーライ芸者とは、口説かれてすぐにオーライ(応頼)してしまう意味である。
 
 
この抗議「ナミダ、ナミダの記者会見」などとは違って、妙にまわりくどいあたりが、彼女たち特有のしつこさなのかもしれない?
 
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(19)明治の芸妓の領域侵犯?   明治12年
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明治12年(1879) 3月13日、静岡の浜松駅の授産場に芸妓17人と娼妓15人が相会した。
3月20日付の東京日日新聞がその一部始終を伝えているので、紹介しよう。


「さて娼妓側の妓長ともいうべきものが芸妓に向かっていうよう、このごろわれわれが営業の閑暇なるはお身たちがむやみに応頼(オーライ)し給う影響なり、いまよりのち、一切応頼いたすまじとの一札を差し出さるるか、または、われわれ同様の鑑札を受け給うべし。
さもなきにおいては、われわれもまた、すべきようこそあれ、と、
 
のっぴきさせぬ応接に、芸妓連は少し圧制と思いしかど是非もなき談判ゆえ、芸妓一同承知の上、”今後は一切ころび申さず”の証、書きしたためて差出けり。
 
妓長はこれを受け取り娼妓一同に読み聞かせ、また芸妓に向かって、さっそくの承知われわれも大慶いたす、これにてよしよしといいつつ証書をふところへしまいおき、これより飲めや歌えの大騒ぎとなりたりとは、実に近来の大珍事」とある。
 

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ことわっておくが、芸妓とは酒席で歌や踊りを披露する、あくまでも芸を売る商売であり、娼妓の方は昭和33年(1958)4月1日以降において法に触れるため消滅してしまった職業である。
元来、娼妓が芸妓の身代わりをつとめるのはオイソレとはいかないが、芸妓が娼妓の領域を侵すのはその気にさえなれば簡単だから、娼妓側としては絶えず生活圏をおびやかされる立場で、当時はこの手の衝突がしばしばあったらしい。

 


 

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引用した主な新聞解説

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大阪朝日新聞=明治12年(1879)1月、朝日新聞として大阪で創刊。21年7月、東京のめざまし新聞と合併し、東京朝日新聞としたのにともない翌22年1月、大阪朝日新聞と改題。昭和15年(1940)1月、東京朝日新聞と題号を統一し朝日新聞となる。
国民新聞=明治23年(1890)2月、東京で創刊。昭和17年10月、都新聞に合併し、東京新聞となる。
時事新聞=明治15年(1882)2月、東京で創刊。昭和11年12月、東京日日新聞に合併。
新聞雑誌=明治4年5月、東京で創刊。明治8年1月、あけぼの新聞、同じく6月東京曙新聞、明治15年3月、東洋新聞とそれぞれ改題、明治15年12月廃刊
中外物価新報=明治9年(1876)12月、東京で創刊。明治22年2月、中外商業新報となり、昭和17年11月、日本産業経済と改題、昭和21年3月、日本経済新聞と改める。
朝野新聞=明治5年(1872)11月、公文通誌として東京で創刊。明治7年10月、公文通誌から朝野新聞と改める。明治26年11月廃刊。
東京日日新聞=明治5年(1872)2月、東京で創刊。明治44年3月、大阪毎日新聞と合同、昭和18年1月、大阪毎日新聞と題号を統一し
毎日新聞となる。
郵便報知新聞=明治5年(1872)6月、東京で創刊。明治27年12月、報知新聞と改題、、昭和17年8月、読売新聞と合併し読売報知新聞と改題。
読売新聞=明治7年(1874)11月、東京で創刊。昭和17年8月、報知新聞と合併し読売新聞から読売報知と改題、昭和21年5月、読売新聞と旧名に戻った。おもしろ雑学事典 著 相沢正夫 発行 毎日新聞社

 

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