知ってる?米穀通帳

ブログのテーマを変更したんだが、後処理が大変!

昨日から明治の三面記事を非公開にして手直しを始めました、手直し、といっても、ブログのバックが、あずき色(エンジ色、dark red)から白に変更しただけだから、ブログの中の白文字(#ffffff)を黒文字(#000000)に置き換えれば終了だろうと高をくくっていたら、とんでもなかった。段落がおかしくなったり、HTML表記が使えなかったりで全体のレイアウトから手直しが必要となった。

例を挙げると<hr>でラインを引いていたんだが、これが使えなくて、ショートコードの仕切り<[su_divider top="no" size="2" margin="10"]>を使っている。

また、困ったことに、全文を正しく読み込んでなくて表示がおかしかったり、切り取られたりしていた。テーマは意味もなく変更しない方が無難なんだろう、と言うよりも、こざかしく手をいれて自己満足に走っている自分に問題があるんだろう。

内容さえしっかりしていれば、白地に黒一色の文章で事足りるんであろう、中身が無いから、あの手この手を駆使して読みやすく?しているのであるが、こうなると、今度はこの小手先作業が更新の邪魔をする。

何はともあれ、表示の見直しに時間を取られそう、てな事を想いながら、消えている画像の差し替えなどをやっていて、米国、空軍などで検索していたら懐かしい文字を見つけましたたら、米穀通帳です。
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お米屋さんで米を買うときにこの通帳を出して購入していました、と言うより、この通帳がなければお米などが買えなかったのです。支給15㎏とか書いてあるんですよ、婚姻届けを市役所に提出すると、私の名前が書かれた米穀通帳を頂いたと記憶しています。

私が同棲を始めたのが昭和47年の春で倉敷市役所でもらいました、勿論、女房に渡したのでその後どうなったのかは解りませんが、何度か通帳を持ってお米屋さんにいったようなぼんやりした記憶があります。

昭和52~3年頃廃止になったらしいんですが、そんなに長く使ったかな~と思う、お米屋さんで通帳を渡すと、中に日付と量(kg)を記入して戻されたとあいまいに記憶しています。

そういえば、私の田舎は山口の山ん中で炭鉱街でしたが、配給所と消費組合が3か所にありました。
それぞれを一区の配給所、二区の配給所、三区の配給所と呼んでいました。
私の記憶している配給所は何でも揃う小さなデパートでした。おもちゃや服、電化製品に台所用品、配給所に行けば日常品は何でも揃いました。そのそばにあるのが消費組合で魚や野菜、炭住の食を支えていました。
c0c5d9e7この配給所も戦中の食料配給の場所なんだろうが、私の場合は単なる配給所と言う商号としての認識しかありませんでした。

そして、昭和45年にエネルギー政策変更で石炭産業は斜陽の一途をたどっていく。
全盛期には1700世帯が日々暮らし、生徒も1500名からいたマンモス校で私は育ったのである。

そんな、懐かしい故郷は今は刑務所になっている。

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ブロトピ:遠き昭和の思い出回廊

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