昭和30年代の路上紙芝居

私の田舎の炭住に、拍子木をたたきながら、黒い自転車を押て紙芝居のおじさんがやって来ていました。
↓検索で見つけた画像<不明>より
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この拍子木の音についていくと、保育園のそばの本通りの石段の所へ誘導されます。
ここは、階段で車が入る事はないので安全な場所なのです。また、幾らだったか忘れたが、お金を払ってせんべいや水あめ、棒についた平べったいべっこう飴?などを買って階段に座って紙芝居をみます。確か15人前後集まったと思います。
お金を貰い損ねて、飴を買えなかった子がいても、紙芝居のおじさんは何も言いませんでした。
自転車もがっしりしたもので、自転車を止めるスタンドも逆Yの字で自転車をしっかり固定できるようにできていました。
ブレーキなども今のワイヤーで引っ張るやつではなく、まさに金属そのものがフレームに沿って伸びていました。
今のワイヤーブレーキに対して棒ブレーキだったと思いますねぇ。

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昭和20年代の写真を見ると、結構な人数が集まっていますね.
大嶺炭田回顧録<むえんたん>より

戦後でテレビも普及する前なのでラジオ以外に、これと言った娯楽も無い時代にはこういう紙芝居が来るのは楽しみなんでしょうね。

紙芝居は何をやっていたんだろう?のらくろ?、私たちの頃(昭和30年代前半)は黄金バットとか怪人二十面相などが代表作だと私は思っている。

この写真は私が見ていた保育園横の本通りの階段とは違う場所なんですが、下に置いてある木の箱を見ると、ある程度メインの通り沿いにある階段だと言う事がわかる。

 

この木の箱は、家庭の燃料として無料で配給されていた無煙石炭を入れる箱なんです。

各地区で決められた位置に各個人の箱を並べて置いておくんです。すると、配給の石炭を積んだトラックが来て、平スコップで降ろしていくんです。私たちはバケツに入れて自宅の台所の外にある保管用のBOXまで運んでいきます。だから、この箱を見るとメイン道路に位置する階段だなぁとわかるんですね。
紙芝居は全国にあったんでしょうね? 私たちの所へは自転車だったのですが、どこから来たんでしょうかね?
私たちの田舎は県道が一本走っており、畑と山を削った盆地に1000世帯を超える社宅が建っていて、周りは山に囲まれていました。
県道は、どちらに行っても山越えになるため、自転車での行き来は、まず無理です。
そうか、映画館の映写技師さんが、家族で無料の社宅に入って、会社のバスで移動して、会館で映画を放映していたが、これとまったく一緒なんだろう、そう考えると、豆売りのおじさんの事も解決する。あるいはトラックに積んで毎回来るのか??これだと赤字だろうから、ありえないだろう。いまいちしっくりこないが、今日の所の結論にしておこう。

 

今日の元気の灯